縄文人も食べていた鮎!世界に広めたのは歴史上の有名人?

北海道から沖縄まで広く生息している鮎は、日本を代表する川魚です。昔から日本に生息しているので、私たちの先祖も代々食べてきた魚ですから、鮎をしることは日本の食文化を知ることにもつながります。

 

縄文人も食べた鮎

今から1万3000年前から2300年前まで、約10,000年も続いた縄文時代の遺跡から鮎の骨が出土していることから、縄文人も現代の私たちと同じように漁をして鮎を食べていたことが分かっています。平安時代に編さんされた古代法典「延期式(905年)」には、内膳司(天皇、皇后の食事を司った役所)に、12の国に鮎を貢進(みつぎものを奉ること)するようにと定められています。焼き魚として食べるほか、延喜式には塩漬けや干物などの加工品が登場します。時は進み江戸時代ともなると鮎の調理法は増え、なますや刺身、寿司、内臓で作った塩辛うるかなどの調理法が書物に記録されています。鮎の味は日本人のDNAにしっかり刻み込まれているのでしょう。釣り人たちが鮎釣りに夢中になるのもさもありなん。

 

シーボルトが世界に広めた

日本の他、朝鮮半島から中国にかけて、台湾やベトナムにまで生息している鮎。アジア以外の世界に鮎を紹介したのは江戸時代にオランダ商館に医師として派遣された医師であり博物学者でもあるシーボルトでした。日本の生き物を紹介するためにシーボルトが編集した「日本動物誌」の中で鮎を紹介しています。その際についた学名は高い帆という意味でした。鮎の背びれを船の帆に見立てたためだと言われています。

当初、鮎はサケ科であると考えられていましたが、研究が進むとサケ科の鮭や鱒とは生態が違うことが分かりアユ科に分類され、現在はキュウリウオ科に属となっています。ただし、現在の分類は統一見解に至っていないため、アユ科と考える学者がいれば、キュウリウオ科だと主張する学者もいますが、一応、現在のところはキュウリウオ科・アユ亜科に分類すると考えていいでしょう。